地方でも働きやすく暮らしやすい社会を目指す

田畑 章子 さん

鹿児島県で高校1年生の娘さんと暮らす、田畑章子さん。
大学進学後、故郷の鹿児島を離れ様々な仕事を経て活躍していた田畑さんですが、現在は鹿児島へUターンし、地元の企業で勤務しながら、グラミン日本が実施する副業プログラムの受講を経て、BPO事業に参加しています。

*BPO事業:デジタルスキル研修プログラムを修了したシングルマザーの方に対し、グラミン日本が企業から受託した様々な業務を発注し、実務経験を提供する事業

今回は、「地元鹿児島で、地域のシングルマザーの人たちがもっとつながれるような活動がしたい」という田畑さんのストーリーをご紹介します。

■支援に頼れなかった地元鹿児島でのUターン就職
大学卒業後、最初に就職したのは東京に本社を持つ大手家具小売店。インテリアコーディネーターとして個人のお客様だけでなく、ホテルなど法人のお客様へ家具や内装などの提案をされていたそうです。そこから都市づくりを行う総合不動産会社へ転職。全国を転勤しながら自身のキャリアを積み重ねてきました。
華々しいキャリアを歩んできた田畑さんでしたが、ある時、鹿児島に住むご家族の病気が発覚しました。「父に癌が見つかったのです。元々母は心臓が弱く、また父の病気と重なるように弟にも不調が見つかり、もうこれは自分が帰るしかない、と思いました。」

こうして十数年ぶりに帰省した鹿児島で再就職することとなりました。
「入社したのは従業員数50名ほどの中小企業です。子供もまだ小さかったので残業がない仕事を条件に探しました。バックオフィス業務の担当として、販売促進ツールやカタログを作成したり、SNSの発信や補助金の申請、採用まで幅広く担当しています。」

順調な再就職ができたように見える田畑さんですが、苦労は多かったとのこと。
「フルタイムの正社員で採用されたので一人親の手当や医療費助成など、公的な支援からはことごとく外されました。けれど実際は正社員といっても残業はできませんし、金銭的に余裕があったわけではないのです。何か手立てはないかと役所に赴いても、あなたより困っている人はたくさんいますから、と冷たく帰されました。」

また職場にも家族にも迷惑をかけている、という思いが田畑さんを苦しめます。
「何とか時間をやりくりして出張などにも行くよう努力していました。それでも定時で帰らなければいけない自分は、常に職場に迷惑をかけているのでは、という負い目がありました。一方フルタイムで働いていたことで、娘の学校行事やPTAなどに参加できず、一緒に過ごす時間も十分にとれないことで、娘にも申し訳ないという思いがあり、全部に対して中途半端ではないか、という思いで一杯になり追い詰められていました。」

■副業デビュープロジェクトとの出会い
支援機関にも頼れない中、仕事に子育てに奮闘し、ようやく娘さんが中学に進学。
すこし時間に余裕ができた頃、田端さんの目にグラミン日本と株式会社SAMURAIが共同企画した「副業デビュープロジェクト」が留まりました。
「娘の将来を考えると、学費などまだまだお金が必要だと思っていました。また娘が成長していく姿をみる中で、これから自分が一人になった時のことを考え、自分自身のキャリアのことも考え直したいなぁ、と思ったのが興味を持ったきっかけでした。」
晴れてプロジェクトの受講生に選ばれ、プログラミングやホームページの作成などITスキルアップの機会を得た田畑さん。しかし想像以上に大変だったそうです。

「プログラミングの学習ツールを学びつつ、先生とは週1回面談がありました。3ヶ月間のプログラムだったんですが、週に20時間以上勉強時間を確保しなさいと言われていました。正直本当に本当に大変でした(笑)先生との面談が必ずあるので、今週は忙しくてできませんでした、が通用せず、出張先のホテルでも一生懸命やっていました。」

しかしながらこのプログラムを修了する過程で大きく成長したと感じたそうです。
「ワードプレスやバナーの作成などWEBに関わるスキルアップに繋がったのはもちろんですが、一番よかったのは、時間の使い方がすごくうまくなったことです。週に20時間なんて無理だ!と当初は思っていましたが、スタートしてみると時間を捻出できたんですよね(笑)
朝、会社に着いてからの30分やお昼の時間を活用したり、夕食後の片付けもすぐしてその後パソコンを開く、などとにかくスキマ時間を活かすようにしました。このプログラムを通じて時間の工夫ができるようになったことで、今グラミン日本の副業の業務もスムーズに取り組むことができたと感じています。」
こうして無事プログラムを修了し、様々なスキルを身につけた今、グラミン日本からの依頼で副業として企業のホームページ制作業務を受託されています。

副業を始めるにあたり、勤めている会社にも変化が現われたと言います。
「田舎の会社ということもあり、勤め始めた13年前は男尊女卑の文化がまだまだ根強かったんです。女性はサポート業務でいいんだ、というような雰囲気でした。最初は何でこうなるんだろうと不満や悔しい思いもしましたが、そう思っても仕方がないので、この会社で求められるような人間になろうと仕事に取り組んできました。そして徐々に様々な仕事を依頼されるようになり、自分でも会社にとって良いと思ったことは提案するようにしてきました。副業を打診したときも、会社では、前例がない、と言われながらも本業に支障がでないなら、と最終的にはOKを出していただきました。少しずつですが声をあげ続けたことで、働く環境が改善されていると感じています。」

自身が感じた辛さや苦しさをバネに行動を続ける田畑さん。
その原動力はどこにあるのでしょうか。
「自分と同じ思いをしてほしくない、と思っています。シングルマザーに限らず、子どもをもって働く人はみなさん苦労をしていると思います。男性でも病気になってキャリアが中断してしまう方も見てきました。そんなときに、これまでしてきた自分の経験が少しでも役に立てばいいなと思っています。」

■地方でも働きやすい社会に
そして、田畑さんのこれからの夢についてお聞きしました。
「いま勤めている会社では、採用を担当しているのですがなかなか思うように採用ができていないのが現状で、もっと魅力的な会社にしながら働きたいと思う人を増やしていきたいと思います。それと並行して、鹿児島のシングルマザーの方々を支援するということをやっていきたいと考えています。公的な支援が受けられないと分かったときに、役所にあった民間支援のチラシを見て、勇気を出して電話してみたんです。そしたら、活動していませんでした(苦笑)
地域柄もあり、民間の支援は十分ではないですし、あったとしても繋がれていないのが現状です。すぐに組織化するのは難しくても、まずはシングルマザー同士で繋がる仕組を作って情報交換からでもできたならと思っています。」

最後にいま頑張っているシングルマザーの方々へのメッセージをいただきました。
「もし何かに挑戦しようかと迷っている人がいらっしゃったら、自分にとって一番大事なことは何か?を考えるのが良いかと思います。私にとって一番大事なことは、子どもを幸せにすること。そして子どもと幸せに過ごすこと。だから子どもが経済的な理由で夢を諦めることがないよう基盤を作りたいと思い副業を始めました。
そう思って挑戦した副業プログラムでしたが、トラブルがあって家でイライラしていた時期がありました。そんなとき、子どもが寝る前に突然「ママ-!」と言って抱きついて泣き出したんです。話を聞くと学校で嫌なことがあって本当は私に話したかったけど、私がイライラしていたから言い出せなかったと言われました。そのときは本当に反省しました。私は子どもを幸せにしたくて副業を始めたのに、これでは本末転倒だ、と。それ以降、副業は子供の状況を最優先にして、目を配りながらできる範囲でやるようになりました。
みなさんも、うまくいかなかったらどうしようとか不安になることがあると思いますが、そういう時には、自分は何が大事なんだっけ?ということに立ち戻って考えてもらうと、自分の決意が固まり一歩踏み出す勇気になるのではないかな、と思います。」